カーヴェリ川長治の南インド映画日記

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zoom RSS 【Nam Yajamanru】 (Kannada)

<<   作成日時 : 2009/03/15 21:13   >>

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 ドクター・ヴィシュヌヴァルダン主演のカンナダ映画。
 思い起こせば去年の今頃は、カンナダ映画に秀作・力作が相次ぎ、「おお、これはカンナダ・ルネッサンスか!」と一人騒ぎもしたが、それも春の珍事と終わり、8月以降のカンナダ映画といえば、わずかな佳作を除いて凡作に次ぐ凡作、その不振は今なお続いている。
 こうなると頼りになるのはベテランの力、とばかりに、ヴィシュヌ翁とナーガバーラナ監督(有名なベテラン監督らしい)の登場だ。
 ヒロインは、我が愛しのナヴィヤ・ナーイルさんと古典ダンサー兼女優のラクシュミ・ゴーパラスワミさん。スチール写真からはそこはかとなく芸術っぽい香りが漂い、映画を観る前からすでに感動してしまった。

【Nam Yajamanru】 (2009 : Kannada)
物語・脚本・監督 : T.S.Nagabharana
出演 : Vishnuvardhan, Navya Nair, Lakshmi Gopalaswamy, Vijaya Raghavendra, Sarath Babu, Anant Nag, Umesh, Ramesh Bhat, Chitra Shenoy, Satyajit, Mandya Ramesh
音楽 : Hamsalekha
撮影 : Ramesh Babu
制作 : Rajakumari Rajasekhar

《あらすじ》
 シェシャンク(Vishnuvardhan)は結婚相談所‘ジャヌマダ・ジョディー’を営む実年男。彼は社会的因習に囚われない自由なマッチングをするだけでなく、結婚詐欺などの不正には断固とした態度を取っていたため、利用者から大いに信頼されていた。
 シェシャンクの家にはチャルー(Navya Nair)という若い女性が同居していたが、彼女は解離性同一性障害を患っており、自分のことをシェシャンクの事故死した妻・ウルミラだと思い込み、彼の妻として振る舞っていた。
 チャルーの恋人、兵士のアローク(Vijaya Raghavendra)が休暇で故郷に戻って来るが、チャルーの一家が交通事故死したと聞いてショックを受ける。しかし、アロークは街中でチャルーを見かけ、シェシャンクの家にいることを突き止め、彼女に会うが、チャルーは全く彼のことが認識できない。アロークはシェシャンクの事務所に抗議に行くが、逆上してしまったため、事務所から追い出されてしまう。
 シェシャンクは死亡したウルミラの保険金を申請していたため、保険会社のスタッフがチャルーに会って、ウルミラについて確認質問をする。しかし、質問が「ウルミラの死亡日」に至ったとき、チャルーは逆上し、「私はウルミラで、死んではいない!」と叫ぶ。その夜、チャルーはバラタナーティヤムの名手だったウルミラそっくりにダンスをする。
 保険会社の調査員、プーワイア(Anant Nag)はウルミラの死に関して、保険金詐欺の疑念を抱く。彼はアロークに会い、彼とチャルーの関係を知る。さらにプーワイアはシェシャンクにも会い、ウルミラと名乗る女性の正体を質す。シェシャンクは「彼女は私の妻、ウルミラではない」と、真実を語り出す。
 ・・・シェシャンクは妻のウルミラ(Lakshmi Gopalaswamy)とチックマガルールに暮らしていたが、近所に住む少女、チャルーを我が娘のように可愛がっていた。チャルーの父母(Ramesh Bhat & Chitra Shenoy)は娘に一滴の愛情も注がなかったため、チャルーもシェシャンク夫妻を実の両親のように慕い、先生に親の名を聞かれても「ウルミラ、シェシャンク」と答えるほどだった。チャルーはそんな状態で大人となる。
 ある日、シェシャンク夫妻とチャルーの家族たちがバス旅行に出かけた際に、バスが崖から転落し、ウルミラとチャルーの両親が死んでしまう。そして、チャルーが昏睡状態から目醒めたとき、彼女の人格はすっかりウルミラと入れ替わっていたのである。
 精神科医のパーテル(Sarath Babu)はチャルーのことを解離性同一性障害だと診断する。シェシャンクは当惑するが、パーテルの助言で彼女を家に引き取り、密かに治療を続けることにする。・・・
 アロークはチャルーの記憶を呼び戻すために、彼女にまとわりつく。それを機に、チャルーの精神は不安定になる。プーワイアはアロークに事実を説明するが、彼は信じない。
 ある時、チャルーは自分が記憶している血液型と病院の診断書に記載されているそれとが違うことに気付き、病院へ確かめに行きたがる。シェシャンクはまずいとは思ったものの、いったんは車で連れて行こうとするが、途中で病気になったふりをする。チャルーはシェシャンクの代わりに車を運転し、彼をパーテル医師の診療所まで運ぶ。ところが、ウルミラは車の運転ができなかったのである。
 シェシャンクからこの一連の出来事を聞いたパーテルは一筋の希望を見出す。チャルーには彼女本来の記憶が保持されていることが分かったからである。パーテルは他の精神科医とも協力し、チャルーからウルミラの人格を消し去る荒治療を行うことにする、、、。

   *    *    *    *

 観る前からすでに感動していた私だが、作品はその期待を裏切らないものだった。傑作と呼ぶにはもうひと伸び足りない気もするが、久々の秀作に違いない。

 あらすじを読んで気付くとおり、マラヤラム映画の【Manichitrathazhu】(93)と似た着想の作品。特に、そのカンナダ版リメイクの【Aaptha Mitra】(04)は、どちらもヴィシュヌヴァルダン主演ということもあって、なにかと比較の対象となるだろう。だが、一見して、本作は【Manichitrathazhu】のリメイクでもパクリでもなく、アプローチもイメージもテーマも異なっている作品だということが分かる。
 【Manichitrathazhu】は、過去の悲劇的な踊り子に人格交代してしまったヒロインを、宗教的儀礼という演劇的な手法で治療するというファンタスティックな趣向だったが、本作ではより科学的なアプローチが取られている。その分、映画的には地味になっているが、リアリティーという点では勝っており、迫力のあるドラマとなっていた。

 ヒロインのチャルーが罹患するのは「解離性同一性障害」(DID : Dissociative Identity Disorder)という病気。
 上で「科学的なアプローチ」と書いたが、本作が実際にどこまで科学的かは私には分からない。ああいう理由で、あんなふうに人格が交代して、あのようなプロセスで治療ができるものか、という点になると、かなり怪しい部分もあるだろう。だが、DIDという病気そのものがまだ医学的に不明な部分が多く、治療法も確立していないとなると、映画作家が想像力をたくましくして物語を作ったとしても、罪はないだろう。

 嘘か真か、解離性同一性障害の患者はインドではこれまで102例しか報告されていないらしい。そんな珍しい病気を紹介するのが本作の目的ではないだろう。
 本作の主題はむしろ、チャルーのケースを通して、親の愛情に恵まれない子がどんな運命をたどり得るか、また、そんな人を周りの人間はどのようにサポートしなければならないかと、やはり人の(特に、家族の)絆がテーマになっていると思う。
 そうした意味では、本作は、失読症を取り上げたアーミル・カーン監督・主演の【Taare Zameen Par】(07)にも連なるような作品だと思う。

 皮肉なことに、シェシャンク(Vishnuvardhan)は‘Janumadha Jodi’(「生涯の伴侶」という意味)という結婚相談所を営み、他人を幸福にする働きをしていながら、自身は事故で妻を亡くしてしまう。そして、擬似妻として振る舞っていたチャルーの病気が完治するということは、彼にとってはもう一度妻を亡くすことを意味する。それはうれしいと同時にちょっぴり寂しいものであり、そんなシェシャンクの複雑な表情が印象的なクライマックスだった。
 (ちなみに、タイトルの「Nam Yajamanru」は「私たちの夫」という意味。)

◆ パフォーマンス面
 出演者の演技は総じて素晴らしかった。
 ドクター・ヴィシュヌヴァルダン、シャラット・バブ、アナント・ナーグ、それに、チャルーの苛立つ恋人役を演じたヴィジャヤ・ラーガヴェンドラなど、実力俳優の競演は見ものだ。

 だが、いくら褒めても褒め足りないのはチャルー役のナヴィヤ・ナーイルだ。
 不幸を押し隠して天真爛漫に振る舞う素のチャルーから、一転して人妻になり、人格の揺れから精神がアンバランスになる役柄を見事に演じている。できる女優だとは聞いていたが、さすがだった。
 ナヴィヤさんといえば、私の愛でる「インド女性美」が、北インド(ボリウッド)中心から南インド中心に、まさにコペルニクス的転回を引き起こすきっかけとなった女優の一人だが、本作ではそんなアイドル的な魅力より、演技派女優としての実力を十分に発揮している。
 去年の【Gaja】のヒットでカルナータカでも人気者の彼女だが、本作でさらに好感度アップだろう。いっそこのままカンナダ女優になってほしいくらいだ。
 (写真トップ:Vishnuvardhan@シェシャンクと Navya Nair@チャルー。)

 ウルミラ役のラクシュミ・ゴーパラスワミも光っている。
 古典ダンサー兼女優の彼女は、なるほど、南インドのブロンズ製女神像の型で鋳抜いたかのような顔立ち・体付きをしているが、非常に優雅な美しさを見せていた。
 本作での出番は限定的で、芝居どころも少なかったが、強みの古典ダンスのシーンもあり、印象度は高い。
 ところで、私は彼女のことをてっきりタミルかケーララの人だと思っていたが、どうもバンガロール出身の人らしい。意外だ。
 (下:Lakshmi Gopalaswamy@ウルミラ。Vishnuvardhanと。)

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◆ テクニカル面
 音楽はハムサレーカ。久々にこの人の音楽を聴いたような気がする。
 印象に残った音楽シーンは二つ。ラクシュミ・ゴーパラスワミ(&ナヴィヤ・ナーイル)がバラタナーティヤムを踊るシーンは、映像、音楽共にそつなくまとめている。シェシャンクやチャルーの家族たちがバス旅行しているシーンは、今どきありえない古めかしい感じのものだが、それなりに楽しめる。 

◆ 総評
 【Nam Yajamanru】は、精神の病をモチーフにしているという点で、内容的には最近のインド映画のトレンドに位置しているが、すでに古典的な風格を持つ作品だ。良質のカンナダ映画として日本の皆さまにもオススメしたいが、その前にカルナータカ州でヒットすることを切に望む。

・満足度 : 3.5 / 5
 

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
川縁先生、久しぶりに感動作でよかったですね。

ところでナヴヤさんの踊りはどうでしたか?

マラヤーラム語映画を見る限り、古典の教育は受けているけどあんまり上手じゃないというのがあたしの読みなんですが、この映画ではどんな感じ?
メタ坊
2009/03/16 09:30
DID、言ってみれば多重人格性、その昔なら”憑き物”。
これ自体映画の素材として魅力あるものだと思いますが、近年の精神病理学的カテゴライズによって、従来のオカルト的アプローチ以外に現代的、科学的な別アプローチが可能になったというのがミソじゃないでしょうかね。
Piyo
2009/03/16 17:44
>私の愛でる「インド女性美」が、北インド(ボリウッド)中心から南インド中心に、まさにコペルニクス的転回を引き起こす

このあたりの大河ドラマをじっくりうかがいたいもんですわ。
Periplo
2009/03/16 17:47
この映画では、ラクシュミさんがずっと踊っていて、最後のほうでオーバーラップする形でナヴャさんが登場する、という構成でした。なので、時間が短くてよく分からないのですが、めちゃめちゃ上手いという印象はなかったですね。「一応、踊れる」というレベルじゃないでしょうか。
 
カーヴェリ
2009/03/16 17:49
なんだ、Piyoさんでしたか。
小難しい書き方をしているので、一瞬、だれか分からなかったですよ。

それとも、科学者の霊でも憑いた?
 
カーヴェリ
2009/03/16 17:54
>このあたりの大河ドラマをじっくりうかがいたいもんですわ。

いやぁ、「悟り」というのは一瞬にして起こるものなので、大河ドラマというようなプロセスはないですよ。
 
カーヴェリ
2009/03/16 17:57

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