カーヴェリ川長治の南インド映画日記

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zoom RSS 【Tamassu】 (Kannada)

<<   作成日時 : 2010/06/24 01:43   >>

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 シヴァラージクマール主演のカンナダ映画。
 本作の話題は、作家・ジャーナリストのアグニ・シュリーダルが初めて映画の監督をするということだ。アグニ・シュリーダルは、かつては暗黒街に身を置いていたが、転向して作家となり、タブロイド紙『Agni』を主催している人。監督業は初めてとはいえ、これまでに【Aa Dinagalu】(07)、【Slum Bala】(08)、【Kallara Santhe】(09)などの映画作品でストーリー、脚本、台詞などを担当しており、まったくの門外漢というわけではない。

 実は、本作は公開に先立ち、ちょっとした物議をかもし出していた。本作はヒンドゥー教徒とイスラム教徒のコミュナル暴動を扱っているのだが、先にリリースされた歌の中に‘Maro Maro Allah Allah, Kochchu Kochchu Raam Raam…’(アッラーをぶっ叩け、ラーマを切り刻め)という過激な一節があるからである(こちらの記事参照)。もちろん、監督の意図したところは、神を冒涜することではなく、「信仰というのは、特定の神の名前を越えて普遍的であるはずだ」、「ある神の名の下に殺し合いが行われるなら、そんな神は要らない」といったことらしいのだが、さすがに社会的な悪影響が懸念されて、検閲はパスしなかった。結局、いくつかのカットを経て、「A指定」での公開となったが、問題の歌も上の一節も残されている。

 題名の「Tamassu」は、『バガヴァット・ギーター』を読んだことのある人なら(または、アーユルヴェーダの知識のある人なら)ピンと来ると思うが、「サットヴァ、ラジャス、タマス」のタマスのことで、人を愚鈍や狂気の状態に置く「暗性」のことである。

【Tamassu】 (2010 : Kannada)
物語・脚本・台詞・監督 : Agni Shridhar
出演 : Shivarajkumar, Padmapriya, Nasser, Harshika Poonachcha, Sharath Lohitashwa, Jai Jagdish, Shobharaj, Asif, Sudha Belawadi, Sudharani, Yash(特別出演)
音楽 : Sandeep Chowta
撮影 : Sundaranath Suvarna
制作 : Saiyad Amaan, M.S. Ravindra

《あらすじ》
 バンガロール警察副本部長のシャンカル(Shivarajkumar)は、正義を愛する余り、犯罪者への拷問、射殺も厭わない男だった。彼は医者のシャンティ(Padmapriya)と結婚していたが、妻はそんな夫のスタンスを激しく非難していた。
 ある晩、ターネリ・ロードでヒンドゥー教徒とイスラム教徒が衝突し、暴動となる。鎮圧のためシャンカルも現場に赴くが、暴徒に棒で頭を殴られ、意識を失う。
 シャンカルは、ムスリムのナーサル・カーン(Nasser)とその娘アムリーン(Harshika Poonachcha)に助けられ、手当てを受ける。彼はこの二人に非常な感謝の念と親近感を覚える。
 ところが、彼らの部屋に飾ってあった写真から、ナーサルにはイムラーン(Yash)という息子がいたことを知る。このイムラーンこそは、シャンカル自身が凶悪テロリストとして射殺した男であった。以前、爆弾テロが起きたときに、シャンカルは容疑者を逮捕するが、その男の口から首謀者としてイムラーン・カーンの名前が挙がったからである。しかし、「兄はテロリストなんかじゃない」と涙ながらに訴えるアムリーンを見て、シャンカルは自分が深刻な過ちを犯したのではないかと動揺する。また、ひょんな経緯から、シャンカルが息子を殺した警官であることを知ったナーサルは、彼の命を狙おうとするが、思いとどまる。
 家に戻ったシャンカルは、シャンティに真相を究明する決意を伝える。
 再調査した結果、マスタン・バーイ(Sharath Lohitashwa)という男の存在が浮かび上がる。マスタン・バーイは表向きはイスラム教の導師であったが、実はテロリストで、ムスリムの若者を洗脳してパキスタンの軍事訓練キャンプに送り込む任務を担当していた。イムラーンは生前に、純粋な信仰心からマスタン・バーイの講話を聴きに行くが、失望して彼の許を去った経緯があった。それを根に持ったマスタン・バーイが、イムラーンをテロ事件の首謀者にでっち上げたわけである。
 自分の非を悟り、悔悟したシャンカルは、まずマスタン・バーイを逮捕する。そして、ナーサルとアムリーンに償いをすることにする。

   *    *    *    *

 「暴力を制するには暴力しかない」と考え、犯罪者や容疑者に対して鬼のように振舞って来た警官が、自らの非を悟り、人間性に目覚めるというドラマ。
 シャンカルは、市民を守るという観点からテロリストを憎悪し、それゆえイスラム教徒に対しても好感情を持っていなかったのだが、ナーサル父娘と出会って、自分の信念が根拠のないものであり、市民を守るどころか、逆に無辜な市民の命を奪っていたことを知り、激しい悔悟の念に駆られる。
 暴力を離れ平和へと向かう、シャンカルの個人的な改心が物語の中心だが、本作品の視野はもっと広く、インドの深刻な社会問題であるコミュナル暴動がいかに愚かなことか、物語の要所要所にアグニ・シュリーダル監督の考えが織り込まれている。
 タイトルの「タマス」のとおり、人の暗愚な状態が問題となっているのだが、それは「妄信」ということかもしれない。シャンカルは、正義に対する妄信から過ちを犯してしまったが、それと同様に、アッラーであれラーマであれ、いかに純粋な宗教的信仰心が基盤にあったとしても、そのために殺し合いをするのは間違っている。しかも、それによる暴動も、実はヒンドゥー教勢力とイスラム教勢力を代表する政治家たちが裏で手を結び、自分たちの都合の良いように暴動を煽っていたりするのである。こうした状態がいかに暗愚なものであるか、一人一人が早く気付け、というのが本作のメッセージだったように思う。(この、コミュナル暴動が政治的に利用されているということは、ヒンディー映画の【Black & White】(08)ではっきりと描かれている。)

 物語の舞台となったターネリ・ロード(Tannery Road)は、実際にバンガロールのカントンメント地区にある道路で、辺りには比較的多数のイスラム教徒が暮らしている。そのせいか、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の小競り合いも多く、しばしばパトロール態勢の敷かれる地区となっている。
 映画の中ではかなり大規模な暴動の様子が描かれていたのだが、あれほどの出来事がバンガロールで起きたというのは、ちょっと私の記憶にない。比較的激しかったコミュナル暴動というのは、2002年の「グジャラート暴動」がバンガロールにも飛び火したものと、2007年1月に起きた、サッダーム・フセイン元イラク大統領処刑に抗するデモに端を発した暴動ぐらいなのだが、それらも映画で描かれたほど殺伐としたものではなかったと思う。
 ただ、アグニ・シュリーダル監督自身の言葉によると、グジャラート暴動を念頭に置いて本作のストーリーを書いたということらしい。おそらく本作は、バンガロールで起きた実際の出来事を踏まえながらも、監督がかなり自由に想像を膨らませて再構成した純粋なフィクションと見たほうがよさそうだ。(なお、グジャラート暴動については、ヒングリッシュ映画の【Parzania】(07)に詳しい。)

 ストーリーもメッセージも良いものなのだが、映画的に見ると、残念ながら非常に退屈な作品だった。
 主要登場人物の葛藤ポイントはうまく設定され、格闘や銃撃、チェイス・シーンなどもあり、音楽シーンも適当に配置され、それぞれの出来は悪くないのだが、メリハリのない脚本、セリフ主体でスローな展開、全体として暗いトーン(映画の多くの部分は夜の室内シーンだった)、しかもコメディー的要素ゼロで、観るのに辛抱が必要だった。上映時間は2時間15分と短いものなのに、3時間ぐらい座っていたような気がする。
 メッセージ志向の社会的ドラマとはいえ、娯楽映画は娯楽映画、この点、もしアグニ・シュリーダルが映画監督を続けたいなら、宿題は多いと思う。

◆ 演技者たち
 南インド映画では、警官というのは何をやっても肯定される絶対的正義か、とことん卑劣な悪徳警官として描かれることが多いのだが、本作のシャンカルのような警官像は珍しい部類になるだろう。それをシヴァラージクマールがかなり熱演している。
 ただ、おそらく監督はシヴァラージクマールを当て込んで脚本・台詞を書いたと思われるが、重い感情描写が多すぎた。シヴァンナのセンティメント演技というのは近ごろ観客にアピールしなくなっているので、ほどほどにすべきだったと思う。

 カンナダ映画初登場のパドマプリヤは、十分美しく、タフだった。しかも、女医さん役とは! 私のために誂えてくれたようなもので、監督に感謝したい。

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 しかし、なかなか良い雰囲気を作り出していたのは、アムリーン役のハルシカ・プーナッチャだった。彼女は低予算映画で2本ほどヒロインを務めたこともあるのだが、やや情けない顔をした女の子で、こういう兄を殺された可愛そうな妹役というのはピッタリだ。重苦しい雰囲気の本作において、意外なオアシス・ポイントとなっていた。
 (写真下:ShivarajkumarとHarshika Poonachcha。)

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 ナーサル・カーン役をやったナーサルは、落ち着いていて、異様にカッコよかった。

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 マスタン・バーイ役のシャーラット・ローヒッターシュワも、出番は少なかったが、印象的だった。この人は怪異な脇役俳優として面白い存在で、カンナダ映画だけで使っているのはもったいない。

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◆ 音楽・撮影・その他
 音楽はサンディープ・チョウタの担当。歌よりもBGMが良かった。(この人はいつもそうなのだが。)
 厄介な‘Maro Maro Allah Allah, Kochchu Kochchu Raam Raam…’の歌はなかなかのアクセントとなっていた。今のところ、この歌のせいで映画館が襲撃されるという事件も起きていないので、カットしなくて正解だったろう。

 スンダラナート・スワルナの撮影は毎度毎度素晴らしい。

◆ 結語
 コミュナル暴動やムスリム・テロリストの問題は、インド全体の問題として、もちろんカンナダ映画でも作品が作られるべきではあるが、こういうテーマのものはボリウッドで山のように作られ、秀作も多く、カンナダ人もよく観ている。それゆえ、切り口に工夫がないと受け入れられないのだが、その点では本作品はなかなかいい線を行っている。しかし、退屈すぎた。作品の志の高さや誠実さとは裏腹に、興行的な成功は難しいだろう。

・満足度 : 2.5 / 5
 

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